テレビ朝日「徹子の部屋」に、酒井若菜さんがゲスト出演されました。
ドラマの撮影中!
黒柳徹子さん「(NHKドラマ)マッサンを撮ってらしゃる時か、なんか」
酒井若菜さん「はい」
黒柳さん「病気になった事がはっきりしちゃったんですって」
酒井さん「そうですね。膠原病っていうものになりまして」
黒柳さん「ええ」
酒井さん「元々19歳の時に、膠原病の中でも2つの疾患に掛かってはいたんですけど」
黒柳さん「あっそう」
酒井さん「はい、ちょうどマッサン撮っていた35歳の時に、もう1つ発症して治療が必要になって。そこから治療を続けている感じですね」
黒柳さん「そうなの」
酒井さん「はい」
黒柳さん「膠原病って、なんかちょっとホウボウ具合悪くなるんでしょう?」
酒井さん「そうですね、あの、病気の総称なので」
黒柳さん「そうなの、うん」
酒井さん「そうですね、関節、リウマチとか、シェーグレン症候群とかそういうなんか、いろんな病気を一気にまとめての膠原病」
黒柳さん「あなたの場合は、そういうリウマチ性とか?」
酒井さん「そうです、去年発症したのがリウマチでした」
激痛で、ドリルで指を!?
黒柳さん「痛いんでしょ、リウマチってなんか?」
酒井さん「激痛ですね、治療したので今はほとんど痛みもない状態ですけど。最初の頃は、たとえば指だったりすると指の中に、指の骨の中にドリルを入れてピィーってモーターが回ってるみたいな」
黒柳さん「痛い?」
酒井さん「そういう激痛がありました」
黒柳さん「可哀想だったわね。それでも芝居、そういう事忘れてやらなきゃいけないし」
酒井さん「そうですね」
黒柳さん「大変でしたね」
酒井さん「その時は、結構ショックでしたし、あの台本でト書きっていうね」
黒柳さん「ええ」
酒井さん「動きの指導みたいのが。それが出来ないっていうのが、やっぱりショックで」
黒柳さん「そうですね」
酒井さん「このまま女優業やって行くのが、難しいんじゃないのかって事も随分考えたんですけど。今医学が進歩してるので」
黒柳さん「そうなの」
酒井さん「はい、日常生活なんにも支障なく、はい」
引退も考えた!
黒柳さん「一時は引退も考えたりしたくらいで」
酒井さん「そうですね、やっぱり仕事は、おろか日常生活もあまりまともに出来なかったので。ちょっと、う〜ん、芸能やって行くのは厳しいのかなってのは先が見えない時はありましたけど。うん、何とか、はい」
黒柳さん「そん時あなたどなたにも、おしゃらなかったんですけど」
酒井さん「はい」
黒柳さん「大体芸能人、そうなんだけど。病気になった時、怪我した時って表からハッキリしてる時は、別だけど。そういう疾患の時には、なんとなくみんなに言わないですめば、言わないでいようってするじゃありませんか、我慢出来るんだったら」
酒井さん「そうですね」
黒柳さん「その時に、お母様にお電話なさった?」
酒井さん「あっ、そうですね。あの私2回休業してるんですけど。えーと、その時も全然、母とかには言えなかったんですけど」
黒柳さん「ええ」
板尾創路さんの一言で母に!
酒井さん「いかんせんリウマチで、動きが出来ないってなってしまうと。これは、さすがに、あの実家に帰るかもしれない、両親に頼るかもしれないっていう。
ちょっと黙ってられないな、でも心配かけちゃうってなっていた時に。あの板尾創路さんが、あの親に心配掛けてしまうかもしれないけど。話すことも親孝行だと思うよっていう風に言われて」
黒柳さん「ええ」
酒井さん「それが目からウロコだったんですね。心配かけちゃいけない、心配かけちゃいけないだったけど。
確かに、このことを親が知らなかったら、いつか傷つけてしまう日が来てしまう。って考えて、その板尾さんの言葉を受けてちょっと母に、話してみようと思って電話をして話しました」
黒柳さん「すぐお話出来ました?」
酒井さん「ん〜、どういう風に話そうかなって、電話する前に思ってたんですけど。電話が繋がって、もしもしって言った瞬間に、もう泣けてきちゃって」
黒柳さん「そうね、今までの我慢がね、うん、そうそう」
酒井さん「母は、何か悟ったんでしょうね。母も、何も話す前から泣きはじめちゃって」
黒柳さん「向こうも泣いちゃって」
酒井さん「向こうも泣いちゃって。ひとしきり泣いてから、実は今体調が悪くてことを話して」
黒柳さん「離れて体調が悪いって、お母様心配なさるでしょうね。帰ってらしゃいっておしゃったでしょ?」
酒井さん「そうですね。いつでも帰って来なさいってことも、言っていましたし。お母さんだって貯金あるんだよって。明日仕事辞めてくるから、それであなたの側にずっと一生居るからっていうふうに言ってくれて」
黒柳さん「有難いわね。普通の人言ってくれないもんね」
酒井さん「そうですね、だから心配かけてしまった気持ちもあるけど。そういう本音の会話と言うか、そういうのを交わせた事が何より大きかったですね」
酒井若菜さんは、膠原病と向き合い頑張れって来たんですね!それに、引退も考えたた事もあるんですね。そして、1番は自分の辛さを母親と分かち合い話し合えたことでしょうね!それも、板尾創路さんの一言があればですね。そのおかげで、母親に話し気持ちの支えで今日があるんでしょうね。
これから、芸能活躍に頑張って欲しいですね!