NHK放送「スタジオパークからこんにちは」出演者、伊藤雄彦アナウンサー、高畑淳子さん、ゲストは、連続テレビ小説「あさが来た」で五代友厚役を演じている、ディーンフジオカ(35)さんが登場しトークを展開しました。
大阪の街で!?
Q、大阪の街で、おばちゃんにされて、びっくりぽんだったことは?
ディーンさん「言って大丈夫なんですかね?特定のあれって?あるメッセージアプリの日本で凄く良く使われてる。」
伊藤アナ「気使って頂いてありがとうございます。」
ディーンさん「(LINEの)IDを教えろと」
高畑さん「携帯番号と言わないまでもね」
ディーン「そうですね。」
伊藤アナ「連絡先見たいなもんですよね、それも。聞いてきちゃたわけですね」
ディーンさん「びっくりしたんで、初めましてお名前は、何て言うんですか?って聞いて。あの・・」
高畑さん「無理なんですよと?」
ディーンさん「初めまして、今日初めてなんで。あの・・次お会いした時でもいいですか?」
伊藤アナ「気を付けないと待ってますよ!大阪の人、次言うたやんか!みたいになちゃうんですよ。大阪の人って、テレビ見てたら親類見たいに感じちゃう部分、身近にとっても感じちゃう。多分あるんでしょうね」
高畑さん「携帯電話はいけません。ダメです」
伊藤アナ「逆それだけ、大阪の方に凄く愛してくださっているって言う」
ディーンさん「そうですね。嫌な思いはしてないんですよ。なんか楽しい、そこも笑えるじゃないですか。なんか、僕大阪合ってたんですよね肌が。ホントのもう、あの自分が仕事を続けられるんだったら、大阪で住みたいなと思ったくらい」
連続テレビ小説「あさが来た」月〜土・あさ8:00と午後0:45から放送中。
プロフィール
高畑さん「ディーン・フジオカさんは、1980年福島県のお生まれ。子供時代は釣りをしたり、山を駆けまわったり福島の大自然の中を駆けまわっていました。お父様の仕事の関係で海外主張が多く。自宅で英語や中国語を教わりました。何歳位から教わっていたんですか?」
ディーンさん「覚えてないですね。まぁーメインは英語だったんですけど。中国語は、ホンのちょっとこう、お風呂入って、あの・・10数えたら上がっていいよとか中国語だったりとか」
高畑さん「イ、リャン、サン、スウとか?」
ディーンさん「そういう感じですね」
高畑さん「お風呂のカウントが中国語」
伊藤アナ「だから、身近に、そういう国際感覚っていう、海外に触れる」
ディーンさん「普通だと思ってたんですけど。意外と、あれ違うのかなみたいな」と笑った。
高畑さん「英語小さい頃から」
ディーンさん「教えてもらいました」
バンドを!
高畑さん「中学高校時代は、友達とバンドを組み音楽活動に励みます。この頃の夢はミュージシャンになること。どんな音楽をやってらしゃってたんですか?」
ディーンさん「その時はもうロックとか、えっと、ヘビーメタルみたいな感じとか」
高畑さん「ボーカルですか?」
ディーンさん「ギター弾いてました。あの・・ミュージシャンっていうか、作曲が好きだったんですね。作曲家、ミュージシャンになれたらいいなぁと、思ってましたねこの頃」
高畑さん「そして高校卒業後、ディーンさんはアメリカに留学します。なぜ留学に?」
花粉症!
ディーンさん「花粉症がひどくて、花粉症にならない所に行きたいなと思って」
高畑さん「理由はそこで!」
ディーン「それも、あるし、もちろん勉強したことが・・父親がその、ITの仕事をずっと、小さい時からモデムとか、使ってた家だったんで。興味が自然とITの方に、あったんですね。シアトルが当時、こうビル・ゲイツだったり、あの・・アドビだったり、そういう会社があったりして西海岸。
具体的に、そのロケーション決めたのは、ちゃんとした勉強するとかね。志を持って行ったんですけど、原点っていうか、1番大きいのは、花粉症が辛かったんで。今ほど、お薬もそんなにね。あの、15年前は・・」
伊藤アナ「無かったですよね」
ディーンさん「そうですよね。だから、もういいやと思って」
高畑さん「アメリカ大学のIT学科で学んだディーンさんは。今度はIT関連の仕事に付く夢を持ちます。しかし、アメリカでの就職が叶わず。卒業後、2003年アジアに放浪の旅に出ます。」
ディーン「就職叶わずと言うか、ピザが凄く難しい時期だったんですよ。」
伊藤アナ「9・11があって、中々おりなくて」
ディーン「どっちかと言うか、ピザプログレムでしたね。ピザの理由でアメリカに居るのがちょっと難しかったんで。」
高畑さん「あの時期にあたってしまったという」
ディーン「そこに時間と労力を使う位だったら、次に行こうと思って。ネクストレベルに行っちゃいました」
放浪の旅!
伊藤アナ「アジア放浪。なぜアジア放浪しようと?」
ディーンさん「やっぱり、あの、そういうサインはあったんですけど。あの学校の教授とかが、21世紀はアジアの時代だって、言ってたのも印象的だったし。あとは、そうですね。アメリカで出会った、アジアコミュニティの、それぞれの友達達のバックグラウンドというか。いろんな、その社会体制があるわけじゃないですか。
その中で、どういう風にみんな、生活してるのかなって興味あったんで。やっぱ、アメリカとか、そういう主本主義のマナーで生きてる人達じゃない。その、でも同じ人間っていう。そこに興味を持ってたのも、ありますし。なんか、いろんな、あの、自分もアジア人だし。アジアの事、殆ど知らなかった、それまで。興味があったて感じですかね。はい」
高畑さん「そしてアジアを放浪中に、大きな転機が訪れます。香港滞在中にDJのイベントに参加したところ。偶然雑誌編集者の、目に止まりモデルデビューする事に。そして、2005年には、(八月の物語)香港映画で俳優デビュー、主演に抜擢されます。」
伊藤アナ「いきなり、モデルから主演に」
ディーン「あの、そうですね。モデルやってた期間って、そこまで今考えると長くなかったんですけど。凄く、短期集中でやらせてもらって。なんかその中で、演技必要になる仕事て出てくるじゃないですか。テレビコマーシャルだったり、あの、ミュージックビデオだったり。
そういう中で、自分のパッションが、見つかったっていうんですかね。俳優、演技って面白いなって思うようになって。オーディションに、あの、呼んでもらって。それで、俳優の仕事が決まった感じですね」
高畑さん「その後、(台湾ドラマ「笑うハナに恋きたる」2008)台湾の人気ドラマに立て続けに出演し、一躍アジアで大ブレーク。(アメリカドラマ「荒野のピンカートン探偵社」2014)さらにアメリカのドラマも進出。
さらに2013年には、実際に起きた事件をベースにした日本映画がに参加。出演だけでなく監督にも挑戦。世界を舞台に表現の幅を広げ活躍を続けるディーンさんです。」
ディーン「ありがとうございます。」
高畑さん「でも不思議ね。小さい頃、お父さんがお家で英語と中国語を喋ってらしゃるのが、そのままんま中国語と英語、喋ってらしゃるんですもんね」
伊藤アナ「生きてるわけですもんね経験が」
ディーン「もちろん、その過程で自分なりに、あの練習し勉強してきた部分もあるんですけど」
高畑さん「不思議な赤い糸みたいな感じがますね」
ディーン「そうですね。父親が、その中国の生まれだってことも、関係してるのかなって思いますね。」
高畑さん「素晴らしい」
伊藤アナ「でも、全然俳優、放浪の旅の中で出会いがあって。たまたまって言ってたらなんですけど」
高畑さん「カメラの前に立つ恥じらいとか、ためらいとか」
ディーン「それも、ありましたよ。どっちかと言うと苦手だったんで、人の前に出るのが。だから、でも音楽が好きだったから。音楽やってるって言うので、なんか、こう1つのなんて言うんですか。それで惑わせる。それがモデルに繋がってて。モデルは、最初ホント生きてくために。
お金を貰えるんだったら、やるよって形で始めて。旅行したり生活したりすると必要なんで。だから、ずっとモデルやるつもりはなかったんですけど。俳優、演技というものに、出会えたってことが大きかったですね」
大阪のおばちゃんは、凄いですね!ダイレクトにLINEのIDを教えてなんて凄い。それを、怒らず対応したディーンさんも凄いですけど。ディーンさんは、今に辿り着くまで、いろんな事を経験し今のディーンさんがあるんですね。ホント何がきっかけで、自分に影響を与えて人生を変えるものに、出会えるか分からないですね。好奇心を持って前に進む事は大切ですね。